1Q84 Book3 ネタバレ注意

今日のブログは村上春樹1Q84を扱っています。

みなまで書く気はありませんが

このブログを読むことで作品をうまく楽しめなくなるかもしれません。

というわけで,まだ読んでない人はここから下へのスクロールはご遠慮ください。

















今日は雨が一日中降っていて

おまけに外に出かけなければならない用事はなかった。

贅沢をいえば多少の食料を調達したかったところだったが

雨に打たれてまで買いに行こうとは思わない。

今日一日くらいの食べ物らしきものはある。

ということで

新聞を読み,

洗ったシャツにアイロンをかけ,

僕は1Q84のBook3を開いた。

途中カップ焼きそばを食べ,少し午睡したほかは

ソファに座ってページをめくり続けた。

その間,雨はやむことはなかった・・・と思う。

最後のページを読み終わったとき,外はまだ明るかった。



青豆と天吾の物語。

1Q84はたぶん評価が分かれる作品だろう。

発行部数に比例して村上春樹の代表作となるのか,

それとも一時チャートを賑わせた異色作程度の記憶を残して

その他の作品群に埋もれていくのか,よく分からない。

物語もなんといっていいか,掴み所がない。

たくさんの出来事があったようでいて

なにも起こっていなかったかのような気がする。

一つ一つの描写に作者が何を込めていたのかはさっぱりだ。

だけど,青豆と天吾が互いの欠落を補うために

互いを求めるということに深い主題があることは

揺るぎない部分だろう。

その他はおそらく舞台装置だ。

教団も月もリトル・ピープルもふかえりも。

結局のところ,ファンタジーやサスペンスのような要素は全て

現実世界が内包する様々な環境のメタファだ。

異論はあるだろう。

だけど僕はそう感じた。

だから語られることなく終わったことも多いけど

Book3でこの物語は結末を迎えたのだと思う。

舞台装置の説明を逐一行うことまでは作家の仕事ではないから。

小説の舞台が戦場だったとして作家は何故戦争が起こっているかを説明する必要はないし,

東京が舞台だったからといって東京タワーが役割を終えようとしていることまで説明する必要はない。

それと一緒だと思う。

そういうわけで,月が2つになってしまった理由なんて永遠に語られないんだと思う。

青豆と天吾のこの先を書く必要が生じなければ

この物語は続くことはないだろう。

Book3のサブタイトルに<10月〜12月>とあり

仮にBOOK4が出るとこれまでを踏襲すると

題名を1Q85にしなくちゃいけないということも若干の根拠だ。

どうとでも調整は可能だけれど。

ともかく1Q84を抜け出た二人の物語はここで終わり。

それでいいと思う。

読後感は案外といい気分だよ。

一読を勧める。

BOOK4があったら恥ずかしいのでこのブログは削除する・・・かもね。

たぶんしないけど。